東京裁判における通訳 epubダウンロード

東京裁判における通訳

によって 武田 珂代子


4.2 5つ星のうち(2人の読者)

東京裁判における通訳 epubダウンロード - 内容紹介 本書では、東京裁判の通訳について誤解を正す意味で、いったい誰がどのように通訳業務を遂行したかについて、さまざまな事実を掘りおこすことを第一の目的とした。日米両国で入手した資料やインタビューを基に通訳作業の全体像に光をあてるとともに、通訳体制の三層構造、通訳手順成立の過程、二世モニターの複雑な立場といった、東京裁判における際立った特徴に焦点を当てた考察を行う。本書の第二の目的は、東京裁判通訳に関する事象を、通訳・翻訳学における理論や概念を基に分析・解説することである。通訳学とは、通訳の認知的プロセス、コミュニケーションの仲介者としての通訳者の役割、通訳史、通訳教授法など、通訳のさまざまな側面を研究する学問で、ここ数十年ほどで急速に発展した。ここでは、今日の通訳学の新潮流である社会科学的アプローチを適用し、東京裁判の歴史的・政治的文脈のみならず、裁判関係者間の力関係、通訳作業に関わった人々の社会的・文化的背景に目を向けながら、通訳事象の説明を試みる。新しい次元に進む精緻な東京裁判研究の嚆矢として贈る書。 著者からのコメント 当初は、モニターによる通訳訂正の分類分けのような言語面に集中する研究をするつもりだったが、米国立公文書館で様々な資料を見つけ、東京裁判で実際に通訳者や翻訳者として働いた人々やその家族へのインタビューを重ねる中で、東京裁判の通訳は同裁判の歴史的・政治的文脈や通訳作業に関わった人々の社会的・文化的な背景を無視しては語れないことを深く認識するようになった。特に、山下裁判における通訳の問題に関する書類を発見したことや、戦時中、日系人強制収容所からMISLS(米軍情報部語学学校)へ動員されその後軍事情報活動に従事した二世の人々をインタビューできたことは、研究の方向性を社会文化的アプローチにシフトさせるきっかけとなった。 出版社からのコメント 東京裁判の通訳においては、日本人通訳者が通訳を担当し、日系二世米国人がモニターとして通訳をチェック、白人米軍将校が言語裁定官として通訳・翻訳問題について裁定を行うという特異な三層構造があった。そんなきわめて特殊性に基づく裁判であったにもかかわらず、根幹である具体的な通訳過程のディテイルに関する本格的な研究はほとんど行われてこなかった。通訳の問題やモニターの存在が断片的に言及されることはあったが、通訳者の採用過程や通訳手順をテーマとした研究はほとんど皆無である。結審後60年経った現在でも、合法性や戦後思想に与えた影響の議論が絶えない現代史上の重要な裁判。本書はそのプロセスを明らかにする正に待望の一冊です。 内容(「BOOK」データベースより) 本書では、東京裁判の通訳について誤解を正す意味で、いったい誰がどのように通訳業務を遂行したかについて、さまざまな事実を掘り起こすことを第一の目的とした。日米両国で入手した資料やインタビューを基に通訳作業の全体像に光をあてるとともに、通訳体制の三層構造、通訳手順成立の過程、二世モニターの複雑な立場といった、東京裁判通訳における際立った特徴に焦点を当てた考察を行う。本書の第二の目的は、東京裁判通訳に関する事象を、通訳・翻訳学における理論や概念を基に分析・解説することである。通訳学とは、通訳の認知的プロセス、コミュニケーションの仲介者としての通訳者の役割、通訳史、通訳教授法など、通訳のさまざまな側面を研究する学問で、ここ数十年ほどで急速に発展した。ここでは、今日の通訳学の新潮流である社会科学的アプローチを適用し、東京裁判の歴史的・政治的文脈のみならず、裁判関係者間の力関係、通訳作業に関わった人々の社会的・文化的背景に目を向けながら、通訳事象の説明を試みる。新しい次元に進む精緻な東京裁判研究の嚆矢として贈る書。 抜粋 「第四章東條英機証言の通訳」より東條を「助けた」のか東條証言中の通訳者、モニター、言語裁定官の行動を通訳体制や東京裁判全体の序列におけるそれぞれの位置、および、日本語能力の優劣に照らして考察し、説明を試みてきた。その中で、本章は、通訳者やモニターが単なる「通訳と誤訳の訂正」を越えて、東條をあたかも「助ける」かのような行動をとったことに対し、彼らの監督者が日本語を理解せず抑止力として機能できなかったことを遠因として示唆した。東條を「助ける」かのような行動も含め、速記録に残されている通訳者やモニターの発言内容の分析に当たっては、個々人の東京裁判や戦争犯罪に対する思想や見解、職業的倫理観、日本人被告に対する感情なども無視できない要素であろう。確かに、弁護側に有利になるよう通訳したと島田自身が述べたり、巌本は天皇のために通訳者になったというエピソードがあったり、イタミは東京裁判に批判的で、東條のことを武人的で誠実だと考え好意的な訳をしたと木梨が述べたりと、裁判中の個々人の胸のうちが断片的に窺える情報はある。しかし、実際に東條証言で通訳やモニターをした本人それぞれの思いを確認できる資料やインタビュー記録などが残っていない現在、「通訳者やモニターは東條に同情していたから、あるいは、東京裁判に批判的だったから東條を助けるような行為をした」などという安易な結論は導き出すべきでない。(p.174) 著者について 武田珂代子(たけだ・かよこ)熊本市生まれ。現在、カリフォルニア州パシフィック・グローブ在住。モントレー国際大学(Monterey Institute of International Studies, MIIS)翻訳通訳大学院准教授(通訳実習・通訳研究の科目を担当)。会議・法務通訳者、翻訳者。MIISで翻訳・通訳修士号、ロビラ・イ・ビルジリ大学(スペイン)で翻訳通訳・異文化間研究博士号を取得。訴訟通訳、通訳教育、第二次世界大戦中の日系米人語学兵、継承語と国際紛争、東京裁判における通訳等に関する英語論文や発表多数。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 武田/珂代子 熊本市生まれ。現在、カリフォルニア州パシフィック・グローブ在住。モントレー国際大学(MIS)翻訳通訳大学院准教授(通訳実習・通訳研究の科目を担当)。会議・法務通訳者、翻訳者。MISで翻訳・通訳修士号、ロビラ・イ・ビルジリ大学(スペイン)で翻訳通訳・異文化間研究博士号を取得。訴訟通訳、通訳教育、第二次世界大戦中の日系米人語学兵、継承語と国際紛争、東京裁判における通訳等に関する英語論文や発表多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) About this Title 「第四ç«ã€€æ±æ¢è‹±æ©Ÿè¨¼è¨€ã®é€šè¨³ã€ã‚ˆã‚Šã€€æ±æ¢ã‚’「助けた」のか 東條証言中の通訳è€ã€ãƒ¢ãƒ‹ã‚¿ãƒ¼ã€è¨€èªžè£å®šå®˜ã®è¡Œå‹•を通訳体制や東京裁判å¨ä½“の序列におけるそれぞれの位置、および、日本語能力の優劣にç§ã‚‰ã—て考察し、説明を試みてきた。その中で、本ç«ã¯ã€é€šè¨³è€ã‚„モニターが単なる「通訳と誤訳の訂正」を越えて、東條をあたかも「助ける」かのような行動をとったことに対し、彼らの監督è€ãŒæ—¥æœ¬èªžã‚’理解せず抑止力として機能できなかったことをéå›ã¨ã—て示唆した。 東條を「助ける」かのような行動も含め、速記録に残されている通訳è€ã‚„モニターの発言å†å®¹ã®åˆ†æžã«å½“たっては、個ã€äººã®æ±äº¬è£åˆ¤ã‚„戦争犯罪に対する思想や見解、職業的倫理観、日本人被告に対する感æƒãªã©ã‚‚無視できない要ç´ã§ã‚ろう。確かに、弁護側に有利になるよう通訳したと島田自身が述べたり、巌本は天皇のために通訳è€ã«ãªã£ãŸã¨ã„うエピソードがあったり、イタミは東京裁判に批判的で、東條のことを武人的でèªå®Ÿãã¨è€ƒãˆå¥½æ„çš„な訳をしたと木梨が述べたりと、裁判中の個ã€äººã®èƒ¸ã®ã†ã¡ãŒæ–­ç‰‡çš„に窺えるæƒå±ã¯ã‚る。しかし、実際に東條証言で通訳やモニターをした本人それぞれの思いを確認できる資料やインタビュー記録などが残っていない現在、「通訳è€ã‚„モニターは東條に同æƒã—ていたから、あるいは、東京裁判に批判的ãã£ãŸã‹ã‚‰æ±æ¢ã‚’助けるような行為をした」などという安易な結論は導き出すべきでない。(p.174)

東京裁判における通訳の詳細

本のタイトル
東京裁判における通訳
作者
武田 珂代子
ISBN-10
4622074222
発売日
2008/12/2
カテゴリ
ファイルサイズ
25.43 (現在のサーバー速度は23.53 Mbpsです
以下は 東京裁判における通訳 の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
とかく「東京裁判史観」とかいうけれど、一体その実態はどうだったのか、よくここまで調べて掘り起こしたものだと思う本。今の時代には「法廷通訳」なる業種もあるが、何もなかった当時、彼らの通訳が無ければ裁判は成立さえしなかったし、あの真崎大将の御子息まで通訳者としてメンバーに加わっていた(実父の通訳のみならず、昭和天皇の通訳者として後々活躍)とは、と知らないことばかりであった。また、東條首相の発言・通訳・モニターによる補足修正は、他で読んだことのない下りであり、これを紹介しているだけでも読む価値はあると思う。ただ、本書を読んでつくづく思うのは、人間にとって言語というものは如何に大切なものなのか、時に生死を分けるものであるのか、通訳一つで印象が変わり事実も変わる、よって最後の最後に自らを守りたければ自己防衛にもなる外国語学習は死ぬまで続けて損はない、ということだった。

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