20世紀美術 (ちくま学芸文庫)電子ブックのダウンロード

20世紀美術 (ちくま学芸文庫)

によって 高階 秀爾


4 5つ星のうち(9人の読者)

20世紀美術 (ちくま学芸文庫)電子ブックのダウンロード - 内容(「BOOK」データベースより)あらゆる表現があらわれた20世紀の美術を鳥瞰し、近代以降、現代すなわち同時代の感覚が生み出した芸術が、われわれにとって持つ意味を知的に探る待望の書。図版多数掲載。

20世紀美術 (ちくま学芸文庫)の詳細

本のタイトル
20世紀美術 (ちくま学芸文庫)
作者
高階 秀爾
ISBN-10
4480080554
発売日
1993/4/1
カテゴリ
ファイルサイズ
24.27 (現在のサーバー速度は29.28 Mbpsです
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現代アートは「分からないもの」の代名詞ともなっている。しかし、現代アートの芸術家たちは、ただ無意味に訳の分からないものを作ったのでは全くなく、芸術が直面した課題・問題に対し、それぞれの仕方で応答した結果としての作品作成なのである。印象派は、写実主義から「感覚の純粋化」を教えられ、そしてそれを徹底した結果として現実の描写からは離れていくという帰結を生んだ。その先にあるポスト印象派では、セザンヌが形態の純粋性を、ゴーギャンが色彩の純粋性を志向し、それぞれキュビズムやフォービズムへとつながる。その先には、例えば形態の抽象化としてのモンドリアン、色彩の抽象化としてのカンディンスキーなどを見ることが出来る。しかし、両者の系統には大きな違いも見出すことが出来る。現代アートの系譜の一つとして「宇宙を支配する純粋美の法則を表出する」というものがあり、モンドリアンやブランクーシなどが属する。一方、「画家の内なる魂を表出する」というものも存在し、これはシュルレアリズムや幻想主義などが引き継いでおり、カンディンスキーもこちら側にいる(こちら側は、顔を描き出すのも特徴とされている)。絵画は、それが描きだすところであり観衆が想起する「イマージュ」を、現実世界の対象である「オブジェ」と結びつける。両者の結びつきは印象派以降破綻するが、キュビズムは当初、オブジェの確認のために「オブジェそのもののコンポジション」を描いたとしている。キュビストの画に登場する楽器やコップは、直線と曲線の単純な組み合わせで出来ていると同時に、「触れる」ことで機能する対象である。しかし、オブジェを純粋化する試みはオブジェを空間から切り離すことになっており、それはむしろオブジェの非現実性を一層明らかにしてしまうというパラドキシカルな帰結をもたらした。そこからの一つの方向は新造形主義だが、その代わりブラックやピカソは、紙や布を貼り付ける「コラージュ」によってオブジェの維持に向かう。(逆方向として、オブジェからの歩み寄りとしてはレリーフが挙げられる)別方向からのオブジェのイマージュ否定はデュシャンの『LHOOQ』やラウシェンバーグの『消されたデ・クーニング』などのように、イマージュを掻き立てる作品が所詮一つの物理物体に過ぎないことを明らかにすることからもなされている。クラインの青のモノクロニズムが到達した「可能な限りオブジェを排したイマージュ」は、フォンタナが切れ目を入れることで一気にオブジェへと引き戻される。一方、描画や造形ではなく「描くこと」自体の解体が、アクション・ペインティング以降に起こる。ボロックは絵画の「中に入る」ことを主張し、マチューは即興政策を行う。その後の流れは、画家自身に「スキャンダル」を巻き起こす形で進んでいくことはその分かりやすい証左と言える。また別の流れであるポップ・アートは、イマージュのオブジェ性の表れとして理解されている。徹底された抽象的計算性の上に成り立つ「オップ・アート」はさらにまた別の応答である。現代アートの取り組んできた問題を分かりやすく分析し論じてくれている良書である。ただしストーリーをもって理解しようとするため、それに合わない芸術、例えばダリやマグリット、ムンク、あるいはホッパーやウッド等はあまり顧みられてはおらず、いわゆる抽象方向をメインとしている点は注意が必要である。分からない現代アートを理解する視座を与えてくれる著作であり、やや難しいものの多くの人に薦めたい本である。

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